2004年始め,今まで菜の花保育園(名古屋キリスト教社会館保育部)で写した写真を整理して,「想い出のアルバム」という名でWebページを作り公開した. 言葉はほとんど入れないで写真を並べたアルバムのようなものだ. モデルになつてくれた人たちには,一人一人に了解を得ずに映像を使わせていただいた.
30年間ほどでたくさんの写真を撮ったが, 写真を自分で保存しておかず,ネガも渡してしまって 残っていないものもある. 手元に残っている写真をデジタルに変換し,記録保存しアルバムとして整理してみた. 写真を見ていると,いろいろなことが走馬灯のように頭をよぎってくる.
このページは,特に想い出深い子ども達のアルバムだ.1973年3月 初めて名古屋キリスト教社会館保育部を訪れた.幼児たちと接することは,全く初めての体験だった.この年の子ども達が卒園して,4月からまた5才児のクラスに入れてもらった.保育に参加して,何をするということはなかったが,子ども達といっしょに遊んだ.そのような関わりが数年続いた.
1979年4月,初めて2才児のクラスに入れていただいた. それがこのページの子ども達だ. その後20数年間今に至るまで月に一度ほど保育に加えてもらい,毎年2才児のクラスに入れてもらっている.
1982年
この子たち(1982年卒園児)のことがいろいろ思い出される,初めて出会った2才児であるし,卒園の時までクラスに入れてもらつた子ども達だ. 彼彼女たちが大きくなってからも, 時々の様子を聞くこともあった.
R君は,横浜の幼稚園で働いていると便りをくれた, Tさんは二胡の演奏家になって,演奏会で飛び回っていると教えてくださった.
1979年夏, 2才児の部屋に行ってみると, 一人知らない子どもが,すわっていた. 彼は黙って 外で遊んでいる子ども達を見ていた. ・・・ ・・・この子となにも話さなかったけれど, この時の情景がいつまでも心に残っている. 谷内六郎の絵の情景のひとコマように心に残っている.
彼はりつぱな青年になった.R君である. (2004.10.5記)